江戸ッ子と云われるには三代続かなければなんて云われるけれど女房が遠い田舎から来たり、家附きの娘に山の中から来た男を養子にしたのでは、言葉に気性に出来た其の子には江戸ッ子の資格が無いと思ふけれど今の代では結構江戸ッ子で通って居る。

 

其の点、私等は十五代続いて居るし、お祖母さんは神田豊島町の大地主の差配を代々勤めて居た家の娘だしお袋は本所一ッ目にあった港屋と云ふ江戸時代小柳平助と云ふ角力が殺されたと云ふ講釈に出て来る宿屋の次男坊の亀吉に出来た娘であるから其の点では合格だと思ふが果して自分が江戸ッ子と云へるかと云ふ自信は無いが商売に働く事より何か皆の為に動くとか世話焼きの出過ぎ者であるとか駄洒落が好きだと云ふ事が幾分、自分に力附けて呉れる。

然し其の江戸の地も江戸から東京へと移り薩長の田舎武士に踏みにぢられ、街には地方商人の金の力で歴代の老舗は「江戸ッ子の生れ損ない金を溜め」と云われる様に段々と数が減り「近江乞食」だ「伊勢泥棒」とか陰で悪口を云ったり「初鰹伊勢屋の前を通り過ぎ」と負け惜しみを云って時の流れには勝てず、近頃は銭湯へ行っても土地ッ子の歯切れの良い挨拶なんて聞かれず、田舎言葉の大声ばかりで何所の国の湯へ入って居るのか解からない。

江戸ッ子は特になまりや歯切れを気にする様で古川緑波が云った様に「東京言葉を標準語にして貰ったのだから少なくとも東京ッ子だけは標準語を使わう」と其の通りだと思ひます。