祐天寺木遣法要

2008年4月6日、目黒区の祐天寺で行われた江戸消防記念会の木遣法要に行ってきました。

このお寺の開山である祐天上人が増上寺の住持を務められていた時、僧侶をいろはの組に分けて寺内の防災に当たらせたのだそうです。頃は18世紀の初め、増上寺の寺域は今よりもはるかに広大でした。

その増上寺の様子を見てピンときた大岡越前守忠相が町火消しを組織したということです。

町火消し誕生のきっかけを作ってくださった祐天上人のために、毎年4月6日に木遣法要が行われています。

 

地元・八区の先導で、ご住職が入場されます。

袈裟には纏が刺繍されていました。


消防記念会の正会員である赤筋半纏を着た組頭・副組頭・小頭が総勢約200人近く整列している様子は壮観でした。

ご住職のお経と幹部のお焼香があって、いよいよ木遣法要です。

全員で歌うのかと思ったら、区による年番制なのだそうです。今年(2008年)の年番は五区でした。

下写真は、元黒こと「わ組」の松本義明さんの勇姿です。


事前に松本さんが木遣の歌詞を送ってくださいました。

最初に歌うのは「真鶴」という木遣で、歌詞は「よ~お~ん~やりよ~お~  え~よ~お~お~~(よーお やるよー)」です。「はじめるよ」という合図なのだそうです。

一音一音、節をつけて長く引き伸ばして歌うので歌詞を聞き取るのは容易ではありません。

哀愁を感じるメロディーですが、いなせな頭達によるアカペラは勇ましいものでした。

それにしても、歌詞はシンプルすぎて謎めいています。

「酒田」という木遣の歌詞は、「酒田出る時 涙で出たが 今じゃ 酒田の 風もいや」だそうです。

庄内地方で歌われた労働歌がルーツなのでしょうか。

祐天寺は町火消し縁のお寺ということで、さまざまな奉納物があります。賽銭箱の裏には、古川三右衛門の名前も書かれていました。

タイムスリップしたような場所で知っている名前を見ると不思議な気持ちになります。

 

実は、私達は東横線の祐天寺から2駅離れた場所で生まれ育ちました。

父が生前お世話になった八区の頭を探すために、以前に教わった半纏の見分け方を実践しました。

半纏の腰の辺りに入っている線の数が、区を表しているそうです。さらに、奇数の区は直線、偶数の区は曲線です。

動いている方の腰の線を数えるのはなかなか難しく、紐の縛り具合で曲線なのか直線なのか見分けがつかない方もいます。最初は直線の頭に声をかけてしまい、次は線の数え間違いで10区の方、ようやく3人目の方に頭のご様子をお聞きすることができました。

町火消しの親戚と名乗るのが恥ずかしい、右往左往ぶりです。

参加されていた頭の皆さんは淡々と行事をこなしているように見え、終了後は潔く解散です。自然体の様子に、こうしたことがごく普通に行われていた時代を思い、東京の根っこを見たような気がしました。