(さへづり草より)

女髪結と言へる者は、両国米沢町の四つ目屋の裏に住居したる某が妻、両国橋の辺へ出る茶店の女児等が髪を結び初め也と言へり、一髪百銅なりしとぞ。之は寛政四年と言ふ年の春より興りしとぞ。此一業のみ世に非らずもかなと思ひしに去りし天保十四年(天保の改革)ことごとくなくなりぬ。