両国橋は新柳町より隅田川の下流、即ち大川の中流に枕し、本所区元町に架せり。木橋にして長さ九十六間、幅四間、東京六大橋の一なり。事蹟合考云、『御入国後御城下東流荒川筋は大橋一ヶ所も無事也。明暦大火の後萬冶二年、始て大橋一ヶ所架られたるもの今の両国橋也』。紫一本云、『此橋は丁酉の年、江戸大火事の時、下町の者共、風下を逃れんと、浅草の見附へと車長持総じて諸道具を引きのきたる故、道つかへて数多くの焼死にたるを、不憫と思召し、若重ねて大火事ありとも、人の損せざるやうとて、下総国本所へ江戸浅草より百余間の橋を架けさせらるヽ』。江戸名所図会云、『萬冶二年己亥、官府より始て是を造り給ふ。註に三橋記或は云、寛文元年辛丑新に両国橋を架しめらる。御普請奉行芝山、坪内両氏に命せられしと、云々』。武江年表、萬冶三年庚子の條に両国橋始て架らる。註に一書に萬冶三年に御普請始り寛文元年に成就すとも云ふ云々。