薬研堀町二十番地に鎮座せり。維新前には此地薬研堀埋立地と称したりき。江戸名所図会に金毘羅として図あり。明治六年社格を村社と定められる。神職菊川流雪社記云、社頭の旧記等は屡々火災に罹り、悉皆(そっくり)焼失して其の由緒は詳ならざれども天明三年の創立にして大物主命、金山彦命、天御中主命の三柱を祭る。社格を制定せらしは明治六年七月十二日なり。元来当社は氏子地と云ふもの更になけれども霊験顕著にして日々参詣人絶ゆる時なく、殊に維新前は武家の信仰者多かりきと。又同社にある大天狗小天狗の面は横三尺五寸、竪四尺五寸あり、府下に比類稀なる大面にして本社の傍に鎮座しあり。大祭は十月十日にして、中祭三月十日、小祭毎月十日なり。縁日は小祭日にして諸商人、植木商人等の露天近傍数ヶ町に亘る。