旧幕府時代両国広小路にありて、薦張の芝居なりき。明治五年に及びて取払を命ぜられしより、同六年四月廿八日、久松町三十七番地へ劇場建設の許可を得て、喜昇座と称して開場せり。同拾弐年六月、久松座と改め、建築を改良せし故、同年八月廿三日を以て大劇場の部に入る。

同十三年火災に類焼し、浜町二丁目に仮小屋を造り、同十六年五月迠興行したるが同年十二月廿四日、元地へ建築の許可を得たるが工事中暴風雨の為に吹倒され、十七年十二月落成して、千歳座と改称し、翌年一月四日開場式を行ふ。当時の建物は間口十八間、奥行き二十七間の塗家なりしが同廿二年、場中より出火して再び焼失し、遂に現今の建物を新築したるなり。座と改めたる事もありしが同二十六年十一月落成して明治座と改称せり。